2021年5月21日のハイパー縁側は、大森亮平さんをゲストにお迎えしました!
就職を機に大阪に移り住んで、はや4年。縁もゆかりもなかった地で根をはり、さまざまな活動をされている大森さんにお話ししていただきました。
テーマは「生きていくための関係性を育む」。

大森さんとハイパー縁側が繋がったのは、半年ほど前のこと。本業のかたわら行っている“生き博(生き方見本市)”の実行委員長として中津を訪れたそうです。
生き博のイベントをハイパー縁側で開催し、コラボできないか?そんな思いで訪れた大森さん。

街の中の会場に集い、ヒトの話をきいたり、自分のことを話したり。そんな生き博のコンセプトは、ハイパー縁側の雰囲気と近しいものを感じますね。
2018年に生き博にかかわり始め、今では実行委員長を務めている大森さんですが、「代表とかあまり向いていないんですよね・・」と控えめにご自身の事を語ります。

現在は西宮を中心に関西で活動している大森さんですが、ご出身は神奈川県平塚市とのこと。遠く離れたこの地に拠点を移すことになった理由は、NPO法人ソーシャルデザインワークスへの就職がきっかけでした。

福祉×まちづくりにチャレンジする、ソーシャルデザインワークス。大森さんは、“障がいのある方たちの就職支援などの直接支援”から“地域の人と障がいのある方の交流の場の創出”や“フリーペーパーでの啓蒙・広報”などの間接支援まで、幅広い活動をされています。

学生時代は社会学を専攻し、「ホームレス」と呼ばれる方々の研究を行っていた大森さん。就職をするまでは「障がい者支援」という分野には携わったことがなかったといいます。
しかし、全く経験や知識がなかった事が、むしろメリットになっているそうです。固定観念が一切ないため、支援対象のみなさんと会話をして、同じ時間を過ごすことで、一人一人のことを知ることができています。

「障がい者」と一口にいえど、その内情はさまざまです。同じ病名でも、特性や病状の程度は一人一人異なりますし・・
そう語る大森さんの様子からは、支援対象者の方とじっくり向き合い、それぞれに合った就職先・ライフスタイルを提案されている姿が想像できました。

“継続的な、でもちょっとした関わり”

お仕事でも、プライベートでも人との関係性を丁寧に築いている大森さんですが、組織や団体に属する際には、次の三つのポリシーを持っているそうです。
01.継続的な、でもちょっとした関わり
02.自分性の未開示
03.専有しない

一番印象的だったのは、その場に同席していた、生き博スタッフの方が大森さんについて語ったこんな言葉。
「3年来の付き合いになるけれど、自分のことをまったく話さないから、このトークライブでいろんな側面を知れました。」
「でも、自分のことは全く話さない彼でも、絶対にダメなことは、一ミリもぶれずに、ダメだとはっきり言うんです。周りの空気に飲まれそうなとき、そういう話じゃないでしょ、と引き止めてくれる。」
一緒に時間を共にし、活動している人の言葉には説得力があります。
その場にいる人の事を一番に考える大森さんだからこそ、たくさんの人が共感し、同じ時間を共有したいと思うのだろう、と感じました。

控えめで落ち着いた雰囲気をまとっていますが、心の内では、ブレない想いと人に対する思いやりが詰まっていることを、1時間という短い時間の中で感じることができました。
いろんな場に赴き、たくさんの人を安らげ、励ます大森さんの今後がとっても楽しみです!

【大森 亮平】
NPO法人ソーシャルデザインワークス
1995年生まれ。神奈川県平塚市出身。
大学時代は社会学を専攻し、「マイノリティ」と呼ばれる人々がどのようにして社会に包摂されていくのかを中心に学ぶ。
就職で関西に足を踏み入れたことをきっかけに、「生きていくための関係性を育む」をテーマに、尼崎・西宮をはじめとする様々なまちの活動に参加。その場の関係性を見て自身の役割・立ち位置を判断することで、均衡や調和を生み出すことに価値を見出している。
NPO法人ソーシャルデザインワークス
生き博(生き方見本市)